唐突ですがご容赦
――何の為に生きるのかと世の哀れなる子供達が問う。
そして私達はそれに答える事を求められる。答える義務があり、そして全ての哀れなる子供達が納得できる真理を説かなければならないかのように思われる。ちなみに、今の「れ」は自発でも受身でもどちらでも良い。私達以外の人間は私達にそれを求め、私達もまたそう自覚してしまうという話だ。
話が逸れた。私達という立場などどうでも良いのだ。問題なのは、答えを求められている内の一人である私個人が、未だに質問者の側に立ちたいと思っていることなのだ。生きる為に生きるとか、そんなものに答えなど無いとか、それらしい『答え』はこの未熟な私でも簡単に紡ぎ出せる。だがそれは、飽くまで子供達を納得させる為だけの物に過ぎない。私自身を納得させられるだけの答えが、まだ、何処にも無い。
私は生きている。今まで一度も死ななかったから、今もまだ生きている。だが何故、私は死ななかったのだろう。何故、生き続けているのだろう。
スポンサーサイト